木を撮る モノクロの撮り方 その3
木が好きです。
気が付くと木をフレーミングしています。
再掲で申し訳無いですが、最近プリントしたモノクロ写真にも木が多く写っています。
木を見ていると安心する気がします。
写真にとって、木は重要なモチーフであると言えます。
木の持つ形が複雑で、かつ個性があり、樹木の種類で形がちがいますし、
木の年齢でも形が違ってきます。
春の若葉であれば生命が戻ってきた印象を受けますし(モノクロでは表現しずらい?)
夏であれば生命力そのものでしょう。
今回の掲載は最近撮った写真ですので葉が落ちています。
葉が落ちた木は寂しい感じがします。
葉の落ちた木に、雪が加わると雪に堪え忍ぶ木、という逆に生命力があるれてくる感じもします。
前回のエントリーでも書きましたが、マイケル・ケンナ氏も「木のポートレート」
人のいない風景 モノクロの撮り方その2 - Shutter Monochrom
というべき写真を多く撮っています。
写真集「レトロスペクティブ2」の表紙が「木のポートレート」ですね。
木は生命力そのもので、知ってか、知らないでか、生命力を分けて貰おうと思い
シャッターを切るのかもしれません。
何故木を撮るのか、木、いや森は日本人にとって何か、という問いでもあります。
日本は四季があり、北海道と沖縄を除くと温暖な気候に属し、国土の7割が山岳で67%が森林になります。
日本は先進国では希な森林王国なのです。
木は山に生え、根を下ろし、土砂を固定します。葉を落とし、雨水を蓄えます。
枯れ葉は川に流れ出し、養分となり河口の魚類の糧と成ります。
我々日本人は木の恵みで生きてきた訳なのです。
ここを理解しているのが日本人で、山岳信仰として古代から敬っていたのです。
文明を持った島にモアイで有名なイースター島があります。
彼らは人口増加の為に木を切ってしまい、
雨水を貯蔵できなくなったために川が涸れ果て、人が住めなくなったと聞きます。
木は日本を象徴する物で、我々が生きてこられたのも木があるからなのです。
我々日本人は木と共に生きてきた民族なので、
木を撮ってしまうのも当然なのかもしれません。
概念的な事を書いていくと、
写真を撮ると言うことは我々が日本人であると言うことの確認なのかも、と言う気がしてきました。
そのくらい、写真に日本人である、と言うことが表現されてしまうと思うのです。
マイケル・ケンナ氏はまるで日本人みたいな写真を撮るから人気があるのでしょうかね?
蛇足
何故こんなに概念にこだわるかというと、
僕が最も敬愛する写真家、写真を始めるきっかけになった写真家の故並河萬里氏の
写真の撮り方だからです。
並河氏は右目を砂漠に置いてきた(砂漠でファインダーを覗きすぎて目を悪くされた)
ほどの、主にシルクロードの写真を撮っていた方で、
学者並に撮影する地方の歴史、神話を調べてから撮影に望んだらしいです。
さしずめ僕は街で脂肪を貰ってきた写真家、でしょうかね?
(痩せなくて困っています)
SSERAの、SSERAの為だけのモノクロ撮り方講座シリーズ
人を撮る モノクロの撮り方 その1 - Shutter Monochrom
人のいない風景 モノクロの撮り方その2 - Shutter Monochrom
再掲。
木は寂しい感じです。
再掲。雪とトラクターが、雪に負けじと頑張っている感じでしょうか。
こちらはデジタルモノクロ。
木々は生命が溢れています。